加藤智大さん、死刑執行

2008年6月秋葉原で無差別殺傷事件事件を起こして、現場で逮捕された加藤智大さんが、7月26日朝東京拘置所で絞首刑を執行された。

14年前のこの朝、ポンの小さな庭の夏みかんの木から、ナミアゲハが飛び立とうとしていた。しかし、この個体は畸形で、頭に茶色い覆面をしていて翅の長さが左右で違っていた。それでも、すっくと立っていた。飛び立てないものは、たいてい翌日までには死ぬ。毎夏、アゲハを観察していて私は知っていた。夜見てみると、まだ立っている。翌朝も。彼女は、ここまで育ってきたのに、何らかの病気で死んだのだ。

 

ああ、一匹の蝶でさえも生きようとしていた。堂々と。嘆き悲しまず、飛び立とうとしていた。立ったまま死んだ。

 

ただ、秋葉原の街を歩いていた人々が、トラックで轢かれ、跳ね飛ばされてタガーナイフで滅多刺しにされて死んだ。大怪我を負わされた。その中には、ぽんの住む街の若者もいた。面識はないが、夢と希望を持ったまま。

 

加藤さんの犯行は決して許されない。死刑になっても。

 

だが、14年後のこの朝死刑になるまでの日々を思うと、彼が気の毒でならない。殺されたヒトの命は還らないし、重軽傷を負わされた被害者や目撃者の心身の痛み、恐怖心は一生消えないだろう。国家が、悪者を成敗してくれたから苦しみが消えるということは、決してないのだ。

 

死刑制度には反対しないが、やはり・・・。どうしたら、こんなことをしないで済んだのか、死刑囚自身に大いに語ってもらいたかった。本も出しているようだが、二度とこのような犯罪が起きないように、社会はどうすれば良いのか。また、家庭環境、生育環境も。

彼は、経済的にも自立しており、非正規だとしても働いていた。

自分のことを「生まれながらの負け犬」と称していたそうだが、働いて税金を払い真っ当に生きているヒトは、負け犬ではない。人間だ。

いつから、人生の勝ち組負け組というようになったのだろうか。

彼には、友人もいたようだし心を寄せてくれる女友達もいた。全くの孤独でもなかったのに、ネット上の掲示板にしか自分を表現できないという。

そこでは、何でも好きに書いて良いらしい。匿名だから、自分の言葉に責任を持たない。ヒトに心を傷つけても平気なヒトほど、誹謗中傷に耐えられないものなのだろうか。自分の発言する居場所を壊されたからと、彼は憤懣を募らせていき、遂には発狂した。自殺する気だったのだろう。現行犯で射殺されたかったのかも知れぬ。

 

全く、彼の掲示板に無関係な人々だった。誰も、加藤さんを知らなかったし、彼に危害を加えていない、と私は思う。ああ、それなのに彼の怒りは、無関係な人々をぶっ殺すことではらされた。のだろうか。

 被害者ご遺族、ご友人に心からお見舞いを申し上げる。

 

拡大自殺と呼ばれる、近年の無差別殺傷事件。

犯人には、類似点が多い。

彼らは孤立した貧しいひ弱な小男。彼らは、親から虐待を受けている。小中学校までは明るく、よく勉強もできた場合、難関高校で挫折。親に見捨てられる。その後の人生は非正規の仕事。だが、職場を転々としていて誰にも愛されず友人も少なく(またはいない)。犯行時は無職で独身。一人の部屋の王だから妄想がどんどん膨らむ。金が尽きることが、TRIGGERとなり得る。

 

私なりの重大無差別殺傷事件容疑者を分析してみたくなった。

 

どうしたら、その人を犯罪者にせずに社会の安全を守れるか。考えてみたい。一番に思うのは、犯罪者となる前の彼に、支えてくれるヒトや仕組みがあったなら、ということだ。