9.11が、やって来た

世界貿易センタービルが、2機の旅客機に突撃されて燃え落ちてから既に20年が経つのか。生中継のNHKニュースは、一晩中やっていた。松平アナウンサーが、「これは映画の撮影ではありません」と絶叫した。

 

亡き父は、実は喜んでいた。原爆投下後の広島へ救護のために長崎の駐屯先から、駆けつけて地獄の惨状を目の当たりにした彼は、アメリカに対する怒りが収まらず、戦後もひとりでも米兵を殺したいと武器を隠していたという。

 

だが、このビルで犠牲となったのは、憎きアメリカ人のエリート社員だけではなく、外国から来ている労働者や、移民の人も多かった。いきなりの、市民に対する攻撃だった。旅客機に乗っていた人々も、この飛行機が同胞を殺すためのミサイルと化したと知った瞬間、どんなに恐ろしかったことだろうか。高層階から飛び降りて死んでいった人も少なくなかった。

 

ponの夫の従妹の夫は、当時貿易センタービル近くの日本の銀行の支店で働いていた。彼の支店は無事だったものの、大変な惨劇をその場で見て、大量の粉塵を被ったに違いない。交通機関はすべてストップしたので、半日以上歩いて帰宅したのだそうだ。

 

彼の無事の帰還を家族は、どれほど喜んだことだろうか。

だが、その数年後。日本に帰国して、出世街道まっしぐらで家を新築して住み始めた頃に、彼はある朝心臓発作を起こして、夕方には絶命した。娘二人は4歳と2歳。若い妻を残して・・・。

ponには、どうしても9.11の体験が、彼の心臓をじわじわと締め付けてきたとしか、思えない。

事件周辺にいた人々の心身にも、何年にも渡って多大な影響があったことだろう。

直接、犠牲者にカウントされない多くの人がその後、関連死しているのではなかろうか。

 

昨夜のニュースステーションで、この事件の被害者となった男性銀行員の妻が、3人の息子さんをこの20年ひとりで育て上げたことを、報じていた。彼女は、復讐の連鎖がいつまでも続くことに心を痛めて、対テロ戦争に反対していた。

そして、明るく楽しく生きることを夫は望んでいると思い、そうしてきたのだそうだ。

次男くんだけが、顔出ししたが、立派な青年となっていた。当時妊娠中だった子は、もうすぐ20歳。本当に、よくぞここまで。女は強い。

だが、経済的な基盤がなければ「楽しく」暮らすことはできない。この女性の私的な情報は伏せられていたが、・・・。経済的には恵まれた人だと思う。このビルの80階で働いていたというご夫君も、非常に優秀で裕福な家庭の出身者だったことだろう。