ponsharaの読書日記

 『罪の轍』 奥田英朗著 2019刊  ★★★★☆

 

奥田英朗は、『オリンピックの身代金』で、1964年の東京オリンピック直前の東京を描いた。徹夜で、ヒロポンを打ってオリンピック関連の建設現場で働かされていた地方からの出稼ぎの人々の姿を。

そして、また2020年の東京オリンピック前年に合わせたのだろう。2019年、『罪の轍』を書いた。

なんの予備知識もなく読み始めたら、はじめは『飢餓海峡』のカバーかと思っていたが、だんだん「吉展ちゃん誘拐事件」を下敷きにしていることがわかってきた。しかし、犯人像は違う。奥田の優しい心が、創造した人物である。

 

 

宇野寛治――彼には、記憶障害があり少し前のことをすぐに忘れてしまう。しかし、決して人を傷つけたり乱暴を働くことはない。喜怒哀楽の感情が乏しく、こどもの頃の記憶がない。だから、人から莫迦だと言われている。そして、自分も自身のことを莫迦だと思っている。二度と空き巣はしないと、少年刑務所から出るときに誓わされたはずが、「金がないなら、他人の家から盗めば良い」と彼は、屈託なくよ犯行を重ねる。まったく良心の呵責を持たない。しかし、指紋だけは残さない。

何故、彼には記憶障害があるのか、そして突然気絶してしまう症状があるのか。

彼の凄絶な過去が、最後になって明かされる。

 

私は、空き巣と元時計商殺人事件、「吉夫くん誘拐事件」が起きたとき、寛治が犯人ではないと思いたかった。テレビと電話が、徐々に普及してきていた当時、警視総監がテレビカメラに向かって、犯人に人質の解放を呼びかけ、国民にはどんなことでも情報を寄せてほしいと頼んだ。また、吉夫くんの家にかかってきた、犯人の脅迫電話の声を公開したという箇所にとても驚いた。後で調べてみたら、これは実際に吉展ちゃん誘拐事件の時と、全く同じ展開だった。

吉展ちゃん事件での警察側の数々の失敗が、後の営利誘拐事案への対応と法整備が決められる契機となった。

 

それにしても、寛治がいとも簡単に無意識で人を殺してしまうという描写に衝撃を受けた。人を殺す理由が、不都合だからうるさいからでは、あまりにも遺族が気の毒である。吉夫ちゃんの生存を信じたかった。

ただ、理由なき殺人ができるサイコパス、悪気のない殺人が現在の日本社会にも増えているのではないか。

 

大場刑事が、寛治と心を通わせるようになりやっと自供を得る。初めて自分の気持ちをわかってくれる人ができた、話が聞いてもらえて嬉しいという場面は、胸が抉られる。

 

真に殺すべき相手を思い出して、寛治が脱走し津軽海峡を渡ろうとしたときの、刑事たちとの追いかけっこの場面はまるで映画のワンシーン。これは、映画化してほしいものだ。

 

黒澤明の『天国と地獄』が公開後、模倣犯が続出した。絶対に誘拐は成功しないと、観客は見るのだが、こどもを生かしていたから失敗したのだ、と考える輩も少なくなかったようだ。

 

警察内部の部署ごとの対立、また個人の手柄競争、大学での刑事対叩き上げの刑事の描写もまた、面白かった。

 

ただ、もう少し寛治の精神分析を詳しく読みたかった。宮部みゆきの『模倣犯』でも、どうして犯人はこんな残虐な事ができるのか、という部分については語られていなかったが。

 

 『JR上野駅公園口』  柳美里  ★★★☆☆ 2014年刊

2020年全米図書館賞を昨年受賞した作品。

上野公園に住む、ホームレスの人々の暮らしが克明に描かれている。しかし、主人公はあまりに不幸過ぎる。貧しさ故に、出稼ぎ三昧の人生だったが、両親と妻子をきちんと養って来た男。南相馬出身で、やっと還暦を過ぎて安らぎのある暮らしができる頃、・・・。自分を支えてくれた、働き者の妻がある朝突然死する。息子も、21歳のとき、ある朝アパートで突然に病死している。

 ほとんど、一緒に暮らさなかった息子だが、レントゲン技師の資格を取得、自分の苦労が遂に報われると喜んだ矢先。

 しかし、一度だけ彼も、50歳を過ぎた頃、弘前の出稼ぎ先でキャバレー新世界へ履いたことがある。優しいホステス女性は、作業着で泥だらけの自分を笑顔で迎えてくれた。そして、チークダンスを教えてくれた。その場面は、読んでいて嬉しかった。

彼女は、浪江町出身だと言った。

肉体関係を持つまでには至らずとも。彼は、しばしそのホステス純子に会いに、そこへ通った。飲む打つ買うを一切してこなかったが、一度だけの甘い思い出。

 その現場の仕事が終わり、弘前から去るとき彼女に、大きな白バラの花束を贈った。初めて彼女に会ったとき、テーブルに飾ってあった白いバラを。

 後に彼が上野の森美術館のルドゥーテの「バラの図譜」展を見にへ行く、布石だったことは後で分かる。

 美しいバラの絵とその説明、見に来ているおばさんふたりの浮世話が交互にはさまれて、面白い描写だ。

 ときどき、時系列が前後したり主人公が生きているのか、死後の世界からこちらを見聞しているのかわからなくなる。幻想的な描き方だ。

 確かに、人はあまりの哀しみ、絶望を受け止められない。茫洋とする。突然そのときのことを思い出す。フラッシュックのように。

 だが、純子との恋愛は白薔薇記とも言える美しい思い出。

 上野の音楽堂、美術館へは皇族方がときどきお出ましになるが、見苦しく汚らしいホームレスの人々はそのたびに、青いダンボールハウスをたたまされて、その場から消えなければならない。これは、一週間前とか二日前に、紙にひらがなで書かれて知らされるという。

 

 かつて、ハンセン病の人々や脳病の人々は、やはりその地に天皇陛下行幸にやってくる前に、追い払われたり牢に入れられたという。今もそうだったのだ。これは、この本を読んで初めてわかった。

 

主人公は、平成天皇と同年齢で、今上天皇は奇しくも主人公の息子と同年同日の生まれだった。令和天皇となり、お健やかに育ち国民の象徴となられた浩宮徳仁様。一方、主人公の息子、浩一は21歳の若さで、突然死した。

子供連れの喜ぶ動物園、市民の憩いの公園、そして芸術を見られる上野。

西郷さんのこと、彰義隊のことなども、物知りのホームレス男性シゲちゃんから語られる。

 

日本の浄土宗の葬式の事、仏教の死生観、相馬の風俗なども、これはアメリカ人にとっては珍しい文化風習だろう。

 

ただ、最後の場面がよくわからなかった。

 

哀しみに次ぐ哀しみ。しかし、天皇家の人々は追い払われるホームレスも、国民の一人であり、大切に人権を守られるべきだとお考えなのではないか。

主人公は、一切贅沢をせず家族のために働きに働いた。様々な記念碑的な建造物を、ツルハシを持って作ってきた。

 

上野に来られる皇族達にそのままブルーシートのかかった、ダンボールハウスをお見せしてはどうか。

 

最後の場面が、よくわからなくて、3.11の突然の場面展開にとまどった。故にマイナス2★。